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にほんごのれんしゅう

日本語として伝えるための訓練を兼ねたテクログ

ニルヤの島を読んで

 ニルヤの島とは

 2014年度の「ハヤカワSFプロジェクト」の大賞に輝いた作品である。なお、審査員は小島秀雄と神林、東とワタシ好みの審査員なのでどのような物語なのだろうとワクワクしながらキンドルでポチッと購入した。

 

# ミームに基づくあらゆる事象

 ミームコンピュータが発明されるまでの間の時間軸と、ミームコンピュータが実際に稼働して入出力ができるようになるまでのコンテンツとしてのパッケージである。主観時刻なる概念が提供されて、主観的な時間を体験することで時間を無限に伸ばすことができるようになった世界の話。この世界の前提として主観記憶がミームコンピュータができるまでの間の記憶をザッピングされているような書き方をしている。

 

# コンピュータの歴史と発展

 フォン・ノイマン型コンピュータからDNAコンピュータになり、最終的にはミームコンピュータになる。ミームコンピュータは大衆を導くミームの発信端末として人の形を取ることがある。また、膨大な計算量を誇り、アコーマンなる有限ゼロサムゲームではほぼ無敵で、なんとなくこうであろうという空気の戦術を作り出すことすら可能。

 人々が手放した死後の世界というものを「ニルヤの島」として語り直すことでDNAの自己欠損を治すように死後の世界を人々に夢想させた。

 

# 主観記憶とニルヤの島

 主観記憶は主観的な記憶をパッケージ化して再体験することで不老不死になるような技術。よって人々は死後の世界から開放されたと思っていた。

 それでも死後の世界が必要とされたのはミーム利己的な遺伝子のように見た場合、ミーム発信者が死んでも何らかの形で残しておく方法が必要だったからではないかと思う。故人を偲ぶではないけれど、儀式化してコンピュータに蓄えることが可能になったミームは故人の主観記録に頼らなくてもミームデータベースとしての役目を果たすことができる。

 ミームの喪失が事実上の死であり、みんな登場人物たちは肉体的には死んでいないにもかかわらずニルヤの島に行こうとするラストで閉じる。死≒ミームの喪失なので、積極的にミームを残しに海に出たのではないか。

 

# 全体的にちょっとわかりにくい本だった

 伊藤計劃トリビュートでは、ミームは必須要素になっている。それを南国調の語り部にで語らせるとこうなるのではないのか、みたいなところがある。

 ニルヤの島が必要な理由が未だに分からない。ミームコンピュータにとっては自己の保存になるのか?無理矢理に自分自身を納得させておく。

 なおこの文章を書くにあたり、多くのはてなブログを参考にさせていただいた。

 [1]http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20150119/p2

 [2]http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20150225/p1

 [3]http://chroju.hatenablog.jp/entry/20140104/niruya_island_review